感謝の手紙
祈祷感謝の手紙
お不動様とともに
真言宗大本山成田山仙台分院では開山以来、大勢の方が祈祷を受けられておられます。
それぞれにお願い事や希望、あるいは悩みをかかえておられました。
その後、お不動さまの力とみなさまの努力でそれらの願い事が祈祷により叶ったり、解決されたり、改善されたりしました。
そのことにより、当院が多くの方々から感謝の手紙をいただきました。
下記に成田山で拝受しました感謝の手紙の一部を紹介させていただきます。
祈祷感謝の手紙1
宮城県仙台市 Aさん 70代 女性
終戦から間もない頃、私は就職のため、仙台を離れ、見知らぬ土地で心細い日々を過ごしておりました。そんな折に主人と出会い、結婚いたしました。生まれつき体が弱かったものですから、当時はただ主人だけが頼りでした。 ところが、或る日、主人が仕事中事故に遭い、頭に大怪我を負いました。そして重い身体傷害になり、私はまだ幼い二人の息子を抱え、途方に暮れておりました。主人の治療のため、大学病院のある仙台へ帰って参りましたが、なかなか容態は好転しません。それでワラにもすがるような思いで仙台のあるお寺の門をくぐりましたところ、そこの方丈様が、お不動様の御信仰を勧めて下さったのです。それがお不動様とのご縁でした。大本山成田山仙台分院ともお不動様のご縁があったからこそ、ご祈祷させていただいております。 あれからもう三十三年になるんですね。ご祈祷とお不動様のおかげで一時は歩くこともままならなかった主人が、もう一度仕事に復帰し、無事に定年まで勤めさせていただきました。そればかりか、今日まで何度も危ないところをお不動様に助けていただきました。本当にご祈祷とお不動様のお力だと思います。 そういえば、息子達もお不動様のお導きで幸せな御縁をいただいております。二人とも仕事の関係などでなかなか縁談がまとまらず、母として本当に心を痛めておりました。と、或る晩夢枕にお不動様がお立ちになり「百の不動を建て直すがよい」とおっしゃいました。それで私は、仙台だけでなく、各地を歩いて山中に埋れ、忘れ去られたお不動様を再興いたしました。全部で二百体ぐらいにはなるでしょう。 かなり厳しい行でございましたが、多くの方の御援助をいただき、なんとか無事に百ヶ所、復興することが出来ました。さらに嬉しいことに、頑張ったかいがあって、二人の息子もそれぞれ三十七才・三十三才にして、素晴らしい嫁を向かえることが出来たのです。 私は本当に幸せ者でございます。もう思い残すことは無い位、幸せをいただきました。せめてもの恩返しにと、これまで五十組程の方々のお仲人を務めさせていただいております。 結婚でお悩みの方、お不動様に一心に祈り、ご祈祷されてみてはいかがでしょう。きっと良い御縁が巡って参ります。また、もしよろしければ、私もお手伝いさせていただきとうございます。どうぞご一報下さいませ。祈祷感謝の手紙2
宮城県仙台市 Iさん 50代 男性
お不動さまとともに、私どもに本山のお掛軸がございます。ご祈祷して頂き、授与して頂いた物で私の祖父の代から伝わっているものです。それに、私は酉歳生まれで守り本尊が御本尊不動明王であるわけです。 昭和58年までは東京に住んでおりまして、本山へご祈願やお参りしていました。仙台へ越してくるときに、市内観光バスに乗りました。その時初めてこちらへご祈祷し、以来毎月お参りとご祈願をさせていただいています。 お不動さまの御霊験ですね。あれは昭和48年のことです。私の経営している会社が危なくなったのです。そしてあわや倒産か、という時、不思議なことに、大量の注文がありまして、難をのがれることができました。それどころか以降ずっと収入が絶えたことがないのです。これは一重にお不動さまの御加護、ご祈祷のおかげだと信じております。そして、不動心、お不動さまの不動の心をモットーとして日常の生活にも励んでおります。 仕事柄、成田山にはご祈願をする「身代わり不動の守札」なるものが伝わっているということは知っていました。しかし、それを実際に目にするのは、大本山成田山仙台分院(以下仙台分院)とのおつきあいが始まってからのことです。 もともと私自信は御守りを一切身につけない主義であったのです。それが、ご祈願の折にご一緒になった或る人に勧められご祈祷した「身代り」を、それこそ初めて身つけた。色々な霊験譚は聞いておりましたが、最初は半信半疑、むしろ信じてなかったという方が正しいでしょう。 私は事故に遭いました。突込んできた対向車を避けようとして路肩から転落してしまったのです。三メートルの高さを車ごと。瞬間、死を覚悟しました。ところが・・・・。 車は雪に埋まってキズ一つつかず、私も全くケガを負わなかった。奇跡としかいいようがありませんが、後で気が付くと、着地のショックがほとんどないにもかかわらず、ご祈祷した「身代り」が真っ二つに割れていたのです。これを機にご祈祷した「身代り」は私にとって無くてはならないにものになりました。 しかも、私はつい先日もお不動様に命を救われております。早朝、私は山形から仙台へ帰る途上、居眠り運転がもとで、関山トンネルの壁に衝突しました。さすがに車はメチャメチャに壊れてしまうのですが、それでも私自身はカスリ傷一つありませんでした。これもお不動様のご祈祷のおかげだと思います。 この事故の際、背広の内ポケットの中に入れている財布がシートベルトを掛けているのに突然、外へ飛び出しました。そしてその財布の中に入っているご祈祷した「身代り」は今回も二つに割れていたのです。 この二回の体験を経て、私が今思うことは、我々が信じる信じないということに関わり無く神仏は我々を常に守って下さっている、ということです。特に私とお不動さまの御縁は切っても切れぬものと考えています。 仙台分院は毎年、有志を募ってご祈祷をしに本山参りを行っておられますが、私は、感謝の意も含めて、欠かさず随行するようにしておるわけです。少しでも御恩に報いることができれば幸いかと存じますので。 ところで、交通安全の御守りをいくつもブラ下げている人を時折見かけますが、一体のご祈祷した「身代り」のほうが、ずっと心強いものなんですがネ・・・・。祈祷感謝の手紙3
宮城県仙台市 Hさん 60代 女性からの手紙
宮城県の成田山とのおつきあいは、まだ七年くらいですよね。開山当初に一度、主人と一緒にご祈祷にお参りさせていただきましたけれど、その後宮城県の成田山へのお参りがしばらく間が空いてますから。私は感謝の気持ちを忘れずに神仏とおつきあいすることが必要だと思います。そうすれば御利益は自然に増えていくはずです。心を込めて念ずれば、必ず神仏に通じ、願いは叶うのに、「困ったときの神頼み」だけ、信心のない形式だけの祈願の人は、いずれ再び苦難に遭わねばならなくなります。細々とでもいいのです。永く神仏におつかえすることが大切だと思いますよ。手を合わせる方の姿と心が誠ならば、神仏も真をもって応えて下さるものです。 人間同士だってそうでしょう。プラスになるも、マイナスになるも一重に付き合い方次第。 私、信仰とは「心」の投資または貯蓄だと思うのです。近頃は目先の利益に執られるあまり、未来に把むべき大きな幸福へのチャンスを、見失ってしまっている人が多いのではないかしら。人生は階段のようなものだっていうけれど、最近は二・三段を無理やり跳び上がろうとして、逆に踏み外してしまう方が多いみたいね。やはり一歩ずつ確実に昇っていく方が良いようです。また、そういった踏み外した時にこそ、心のよりどころとなると思うのです。同じ様に、信心も少しずつ蓄積して、ずっと大きな幸せをじっくり味わった方が良い。
そう思いませんか? この頃は宮城県の成田山にお参りして手を合わせると、本当に心の底から神仏に支えられているのだな、と、感謝できるようになりました。もっとも、実は私自身が「支えられているという安心感」に支えられて生きているのかも知れません。でも、これからも宮城県のお不動さまの御加護のもと、さらに精進し、平穏な生活を願いたいと考えています。 合掌
祈祷感謝の手紙4
宮城県仙台市 Sさん 40代 女性
何時もお守りを送って頂き心より御礼申し上げます。 昨年の1月に良縁成就祈祷をして頂きました所、お陰様で昨年9月に結婚させて頂く事ができました。念願成就致しました。 本来なら、大本山仙台成田山仙台分院へお伺いして御礼をさせて頂くのが筋なのですが、なかなか、時間が取れず手紙にて失礼致します。お不動様のご加護に感謝いたしております。 本当にありがとうございました。祈祷感謝の手紙5
宮城県仙台市 Hさん ご家族
当時東京都の派出所の巡査の話です。 早朝巡回の際、浮浪者風の男に拳銃で撃たれるという事件に遭遇しました。すぐに病院に運ばれましたが、なんと胸に当たった弾は、至近距離であることにもかかわらず、ポケットの中、成田山から授かっていた祈祷された身代り札に当って止まっていたのです。本当にお不動様が守護してくださった。ご利益のおかげだと思いました。また、腹に受けた弾は膀胱を貫通してはいますが、幸いにもそれ以外の器官や神経には損傷がなく九死に一生を得たのです。後遺症などなく、ご利益のおかげです。 Hさんを撃った男、実は逮捕されるまでに警官三人を含む5人を殺害した連続強盗殺人犯です。また、丁度事件を目撃していた彫刻家が、ご利益が高い霊験談に感激して、一体の不動明王像を刻んで下さった。像高五十センチもある立派な御尊像で祈祷して頂き、ご本尊としてお祀りしているそうです。やがて、ある資産家に招かれHさん一家は満州に渡りました。しかし、折角築いた財産も結局は戦火により、灰塵に帰してしまいました。日本に返ってくるH家は仙台へ移り、お不動様のご信心、ご利益のおかげで、平穏に生活を営んでいます。 ところが、ひょんなことから例の不動尊像を手放してしまい、それを境にご利益どころか様々な災難がるふりかかります。この時期を振り返って次のようにおっしゃいます。 「永年に渡ってご利益を受け、御守護下さってくれるお不動さまを粗末に扱った訳でしょう。御加護、ご利益を頂けない事がどんなに恐ろしいことか。十分思い知らされました。」
今では御家族はそれぞれ、お不動様のご利益を信じて、信仰を続けておられます。とくに奥様は今も毎年欠かさず、妹さんや娘さんと一緒に参拝されています。 「誰が何といおうと、私は成田山のお不動さまのご利益を信じて、信仰し続けますよ。それだけのご利益を頂いてきますもの。」 そのように語って下さいました。
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